こんばんは、とうまです。
前回、
私の過去の話をさせていただいた。
以下、あらすじ。
中学時代の私は、
出来杉君もドン引きするレベルで、
超真面目に勉強していた。
そして、偏差値を38くらいから70以上にまで上げ、
高校受験では公立私立問わず、県内全ての進学校に合格。
結果として県内トップの公立高に進学した。
しかし、順調だったのはここまで。
そこから、堕落の日々が始まった。
高校に入学してからは、
昔好きだったゲームの世界に再びのめり込み、
勉強とは程遠い生活を送った。
夏休みは、
1日平均10時間以上ゲーム。
授業中もゲームをしたり、漫画を読んだり、
放課後はサッカーをしたり。
そんなクソみたいな、
でもめちゃくちゃ楽しい日々を送っていた。
元はと言えば、
すべては1つの勘違い。
「進学校に入ってさえいれば、
大学受験も余裕で突破できる」
高校入学当初、
こう勘違いしたことから始まった。
つまり、こんな勘違いから、
私の大学受験は始まったわけだ。
しかし、当時を楽しみまくっていた私は、
そんなことはつゆ知らず、本当に毎日やりたいことをやっていた。
授業中に漫画を読み、ゲームをし、
放課後はサッカーをし、そのあとは家でゲームをする。
そんなクソみたいな、
楽しい生活を続けていたわけだ。
そして、
気がつけば高2の冬。
そこで私は、
衝撃的な事実を知ることになる。
前回は、
確かこんな感じの話をしたはずだ。
もし、前回のメルマガを読んでいない人は、
そちらを先に読んでいただきたい。
で、今回はその続き。
高2の夏休みも終わり、
いよいよ周りも受験勉強を本格化し始めた頃。
さすがの私も、
ちょっとだけ受験を意識し始めた。
「あと1年ちょっとで大学受験か」
といっても、
具体的に何かを始めるわけでもない。
「大丈夫っしょ」
そうたかをくくっていた。
当時の私は、大学といえば、
東大と早稲田と慶應くらいしか知らない。
一橋と聞いたら、
京都土産の八つ橋が頭に思い浮かぶくらい、
大学受験について何にも知らない、とんでもないクソ馬鹿野郎だった。
そして月日は流れ、
高2の冬。
私は、ひょんなことから、
同じサッカー部の同期がある予備校に通っていることを知る。
そこで私は考えた。
高校受験の時も塾行ってすぐ成績伸びたし、
大学受験も同じように頑張ればいいか。
1年くらい本気で頑張れば、
たぶん余裕で早慶くらいなら受かるっしょ。
この考えが甘かった。
高校受験と大学受験は、
範囲も科目数も求められる知識も段違い。
高校に入ってから2年間、
甘えに甘え、たるみにたるみ、
勉強なんて1秒もしてこなかった代償は、
あまりにも大きなものだった。
というか、全体的に私の現役時代の考え方は、
綿あめに砂糖をかけたように甘々のあまちゃんだった。
自分で大学受験について、
1ミリたりとも調べようとしない。
唯一知ってる情報は、
学校の集会でちょっと聞きかじった程度の情報。
センター試験ってのがあるのを、
かろうじて知っているレベル。
ようするに、
そこらへんの小学生と、
大学受験に関する知識レベルは、
そんなに変わらない状態だった。
一言で言うと、悲惨である。
自分がそんなヤバヤバな状態であるとは、
ちっとも考えていない私は、とりあえず予備校に行ってみることにした。
物は試し。
行ってみればなんかわかるっしょ。
そんな軽い気持ちだった。
最初、塾長と呼ばれている、
小太りのおっさんが現れた。
見た目はただのおっさんなのに、
なんか無駄によい香りがしていたので、
この人のことは覚えている。
あれは香水をつけていたのだろう。
「とりあえず、これ書いて」
渡されたのは、
プロフィールを書くための紙。
そりゃそうか。
まずは自己紹介しないとな。
その紙に、
自分の名前を書き、高校の名前を書き、
所属してる部活動のところには「サッカー部」と書いた。
そして次の項目には、
「得意科目」と書いてあった。
得意科目?
久しぶりに耳にした言葉だった。
2年近くも真面目に勉強していなかったのだから、
久しぶりと感じたのも無理はない。
もし得意科目なんてものがあったとしても、
それは今はもう過去の話だ。
にもかかわらず、
そこに私は「数学」と書いた。
実は、数学だけは超真面目に勉強していた。
なんて、神展開があるわけではない。
むしろ、定期テストでは、
いつも赤点筆頭科目だった。
では、なぜ当時の私は、
得意科目の蘭に「数学」と書いたのか?
実は、
当時の私は理系だった。
浪人してから文系に文転したわけだが、
元はと言えば現役時代の時、私は理系だったのだ。
では、なぜ理系だったのか?
将来、医者になりたかったから?
生物の先生になりたかったから?
エンジニアになりたかったから?
残念ながら、どれもハズレだ。
将来の夢的なものは、
昔から持ち合わせていない。
これが本音。
将来の夢は、周りの人が聞いてくるからこそ、
適当にでっちあげてきただけだ。
「将来の夢は?」と聞かれて、
「そんなものはない」と答えると、
それを聞いてきた大人が不満そうな顔をするのを、私は知っていた。
だから、自分の年齢に応じて、それっぽく、
「サッカー選手」とか、
「公務員」とか「お金持ち」とか言っていた。
まだ幼い子供ながらに覚えた、
「リップサービス」ってやつだね。
本音の部分を言うと、
「とりあえず何か答えておけば周りの大人が黙るから」
適当に答えていただけだ。
それは今も変わらない。
これ、みんな言語化できていないだけで、
同じように考えているんじゃないかな?
だって、将来の夢を言う時って、
決まって誰かに聞かれた時だからね。
小さいうちから当たり前のように聞かれてるから、
みんな当たり前のように受け取ってるけど、
実際、そんなのどうでもいいじゃん。
幼稚園児の将来の夢なんて、
周りの大人から聞かれるから、
知ってる単語を答えてるだけだよ。
絶対そうでしょ。
あんな小さい時から、
将来のことなんて考えられるわけないって。
私が子供の頃は、
車屋さんとかウルトラマンとか答えてたと思う。
それを聞いて大人は喜ぶわけだ。
ようするに、大人のちょっとした楽しみのために、
子供は将来の夢を強要され、消費されてるってこと。
馬鹿げた話だぜ、本当に。
それが中学生、高校生になると、
どこか現実味を帯びたものに刷り変わってる。
適当に選んだはずの夢が、
自分が叶えないといけない夢みたいになってる。
で、結果として、
それに苦しめられてる人も多いと思うんだけどなー。
思い過ごしかもしれないけどね。
ぶっちゃけ、
将来の夢なんて、いらねえから。
5年後のことも分からねえのに、
そんなの考えても意味ないって。
それよりも、今を見つめて、
現実を見据えて生きていきましょー。
話を戻します。
なぜ、当時の私は理系だったのか?
実は、単純な話で、昔から、
「自分は理系の人間だ」と思い込んでいたからだ。
本当にこれだけ。
なぜ、そう考えていたのか?
理由を挙げるとしたら、
昔から算数や数学が得意だったからだろう。
だから理系にした。
といっても、高校生の当時は、
真面目に勉強していたわけではない。
ようするに、
なんちゃって理系だ。
にもかかわらず、
なぜ得意科目に「数学」と書いたのか?
その理由もバカみたいにシンプル。
「昔、得意だったから」だ。
それじゃあ、得意科目じゃねえだろ!
というツッコミは当時の私には通用しない。
というのも、当時の私は、
驚くほど素直じゃなかった。
自分が勉強してこなかったことは認めない。
それどころか、学校の成績は悪い癖に、
「俺は頭が良いから本気を出せばどうにかなる」とさえ思っていた。
さらにタチの悪いことに、
県内トップの公立高に通っていることもあり、
プライドだけは一丁前。
もはや、最悪である。
こいつは手がつけられない。
知らない間に、
最低最悪のモンスターがそこには誕生していた。
今、こんなやつが私のところにきても、
絶対に相手にしたくない。
そんなクソみたいな性格だった当時の私には、
得意科目の欄を「空欄にする」なんて選択肢は、一瞬も浮かんでこなかった。
バカなクセにプライドは高い。
自分のことだから、
遠慮なく言わせてもらおう。
こういう人は、
この世のゴミ以外、何者でもない。
どこかで必ず痛い目にあう。
クソみたいなプライドで守られた化けの皮は、
ちょっとしたきっかけで、いとも簡単に剥がれ落ちていくものだ。
幸いにも、そんなゴミカス野郎だった私は、
その予備校で、自分の現実を知ることとなる。
というのも、
そのあと、その小太りの塾長は、
「とりあえずセンターの過去問でも解いてみる?」
と、私に言ってきたのだ。
センター試験?
大学受験で解かなきゃならないらしい、
あの謎の試験のことか。
まあ、試しに受けてみるのも悪くないな。
ということで、
私はそのセンター試験とやらを解いてみることにした。
渡されたのは、
センター試験の英語の問題。
なるほど、これを解くのね。
「試験時間は80分だからね。
時間がきたら声かけるから。
じゃあいいかい?用意、スタート!」
その合図と同時に、
私は渡された問題の表紙を1枚めくった。
もう、おわかりだろう。
そこで、私は、
2年間も目を背け続けてきた、
自分の悲惨な現実を目の当たりにする。
そう、中学生時代、あんなに得意だった英語が、
定期テストで満点を当たり前に取っていた英語が、
全く読めなくなっていたのだ。
私は、愕然とした。
初めは、目の前の現実を、
全く受け入れることができなかった。
??????????
、、読めねえ。
、、、いや、、読めるよな??
、、、、やっぱり読めねえ。
センター試験英語、
第1問、発音・アクセント問題。
そこに載ってるすべての単語に、
見覚えすらなかった。
???????
なんだ??これ???
ページをめくってもめくっても、
読める英文がろくに見つからない。
ゴミのようなプライドが、
粉々に砕け散った瞬間である。
しかし、
当時相当のクソ野郎だった私は、
それでも現実を認めようとしない。
そこで反省の色を見せるどころか、
あろうことか、電子辞書を取り出して、
英語の問題を解き始めたのだ!!!
皆さんご存知、
ダメ学生の伝家の宝刀「カンニング」である。
ゴミカス野郎も、
ここまでくると逆に清々しい。
おかげさまで、
発音・アクセント問題だけは満点だった。
他の問題はどうしたのか?というと、
英文が多すぎるのと、文法知識がなさすぎて、
電子辞書を使っても解くことができなかった。
当時の私は、
脳みそレベルも相当のゴミカスだったのである。
ここまで頭が悪いと、
試験時間も余ってあまって仕方がない。
そこで、当時の私は何をして時間を潰したのか?
というと、
「解答の見直しを始める」なんてことは1ミリも考えずに、
なんと、
「今回の試験が解けなかった言い訳」を考え始めたのだ!
当時の私は、
言い訳無用の惨憺たる結果が目に見えているにもかかわらず、
どうにかしてそのプライドを保とうと必死だったのだ。
ちなみに、そのときの言い訳は、
「お腹が痛かったから解けなかった」だ。
言い訳レベルもゴミカスである。
ちなみに、そのときの試験の結果は、
200点満点中40点だった。
当然のごとく、
ゴミカスレベルの結果である。
電子辞書を使って、カンニングをして、
その結果がこの鼻くそみたいな点数である。
おそらく、
チンパンジーが適当にマークしても、
これくらいの点数は取れるだろう。
私の大学受験の原点はここにある。
これがリアルだ。
笑いたければ笑えばいい。
でも、
この物語を笑えない受験生がたくさんいることを、
私は知っている。
そんな受験生のために、
この文章は書いている。
それ以外の部外者がなんと言おうが、
知ったことではない。
予備校の合格体験記に、
こんなストーリーは載ってはいないだろう。
あそこに載ってるのは、腐った綺麗事の臭いがする、
つまらない、虚構に満ちた物語だ。
予備校の顔色を伺った文章は、
受験生の心に響かない。
あれは暇つぶし程度に読むだけでいい。
予備校の合格体験記が、
綺麗事に満ちた完璧な世界なら、
今回の私の話は、汚くみすぼらしい、
でも、リアルな一人の受験生の物語だろう。
夢を見たいなら合格体験記を読んだ方が良いが、
実際に役に立つのはこちらの物語だと思う。
世の中は、
完全を装った不完全な世界。
綺麗事ばかり言ってくる、
根性が汚いやつらの言葉には耳を貸さなくていい。
時間の無駄だ。
それよりも、
リアルでガチの生の声を聞きまわったほうがいい。
これ本当に大事だよ。
それで、だ。
私の話はここで終わらない。
このあと、どうなったのか?
結論から述べよう。
実は、私は、現役時代のとき、
どこの大学も受験をしなかった。
どこの大学も受験をせずに、
ひっそりと大学受験を終えた。
早い話が、
大学受験から逃げたのだ。
滑り止めさえ受けず、
大学受験を前に、鮮やかな敵前逃亡。
クズ、ここに極まる。
ゴミカスエピソードは、
今回だけでは終わらなかったのだ。
が、その話は、
また別の機会に話すとしよう。
ネタにすることでしか、
ゴミカスエピソードは生きる道がないからね。
乞うご期待。
そしてそのあと、私は浪人をした。
予備校に通わずに、自宅浪人をした。
おまけに、理系から文系へと文転をした。
その自宅浪人の1年間で、
私は参考書を120冊以上やった。
高2の冬は40点だった英語も、
自宅浪人時には得意科目になっていた。
最後のセンタープレでは、
200点満点中200点満点を取り、
マーク模試ではあるが全国1位にもなった。
何がどうなって、
そんな大学受験経歴になったのかは、
また別の機会に話そうと思っている。
次回はいよいよ、
たった3日でセンター英語40点→131点に上げた超速英単語暗記法
これについて話す。
ようするに、
今日話した物語の続きだ。
前置きが長くなったのも、
これには訳があるわけでして。。
詳しくはまた次回。
ってことで、
今回はこのへんで。
ではでは。
追伸
勉強法を変えたことによって
もともと偏差値40の人が80になりました。
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